ニツポリ




 はれ。だいたい寒い。
 所用でスナガワまで。早起きだったので眠ひ。。

 例の、相模国の長吏の本の文章がアレという話を前に書いたけど、アレがまだ読み終わってない。。携帯するにもかさ張るし、開いて数頁もしないうちに眠気がくるので、なんだかもうかったるいので枕元に置いて寝る真際に開いている(もちろん、てきめん誘眠作用あり)。それで代えて携帯して読みはじめたのが『貧民の帝都 』(文春新書)という文庫本なんだけど、こちらは断然読みやすくて面白い。学者が書いたのと、(編集者出身という)作家が書いたので、こんなにも違うもんかと思った。。
 文章のせいもあるけど、加えて、まず序章で述べられる「『壊れそうな人間』を目にしたとき、わたしの神経にはつよい電流が走った。『なんだ、これは』と注視してしまう」という著者の心境告白が、自分のそれにすごく近いせいもあるのかなと。(そういえば尼損のカスタマなんちゃらだと「センチメンタル」って叩いてる人もいたから、そこらへん好みで別れるんだろう)それから、控えめに挿入される、中世〜近世と現在の重ね地図なんかも、実に気が利いてるなあと思った。
 
 「壊れそうな人間」っつー表現もなんかすげえなと思う(そして、壊れてるものにやたら反応する人もどっか壊れてるんだろうと思う)。それから同様にイヤちんの「触覚のとれた虫」というのもすげえなと思うのだけれど。。なんですかねえ、触覚のとれた虫。。 だいたい文明圏に暮らす人間はみんな触覚のとれた虫なんじゃないかという気もしてくる。あとは「ああワタス触覚とれてんな」って自覚があるかないか、気にするかしないかだけのような気もする。触覚とれてんなって、気にしたりあえて書いてみたりするのは、なんかおっかないけれども。
 思えば、ワタスが気になるアレコレとか、グっとくる表現のやりかたって、とれた触覚のことを思い出させるようなところがあったり(失われた感応性の回復、拡張?)、まず最初に自分ら触覚がとれてるってとこから始まってるような気がするだとか、、ぼさぼさと寝言のダメ押しぎみに書いてみる。
 
 で、ねむひけど、腹減ったな、、どうすっかな、、などと今んとこアレしております。