かの旨味先生




 明け方帰宅して、昼過に起きてまた出かける。
 なんだかずいぶんとさわやかな秋晴れ。

 この前の、加納真実先生がまたやるということで、ぎろっぽんなんちゃらまで。
 ふだん、ぎろっぽんなんちゃらなどというところには絶対出かけない。いかにも、いけすかない雰囲気を感じるから。トラックでも突っ(おっと ・・・カノー先生がやるというから出かけてみる。
 現場につくと、やはりぎろっぽんなんちゃらは、いけすかない雰囲気のする場所だった。生産と消費の集中点というか、ヨクボーの象徴のような、華やかなビルやら庭やら。。そこいらを生き生きと歩き回る人々にも、なにか無気味なものを感じる。気のせいだろうけど。
 広場に座って、嫁としばらくぼけーとしていると、カノー先生が出てきて、出し物が始まった。
 地面に突っ伏して静止するトコ、タンバリンで狂ったように踊るトコ、突然、赤い糸をぐるぐるさせて観たこともない踊りを踊るトコ、静から動、動から静の、瀬戸際の、テンションの集中。ぐーーっと収斂していった力が一気に解放されるような瞬間に、息がとまる。。
 いや、一番ワタスが好きなのは、ンスー、ンスーっていうマイクの鼻息のヤツかも。
 思わず耳を澄まし眼を凝らしてしまう。次はどうなるんだろう?っていう期待が果てしなく増幅して無制限な感じ。なんかしてる時ときより、してない(ように見える)時が素敵なんだナ。。
 それにしてもダンナがいるってのがまだショックなアタス。。(爆




 カノー先生が転げ回り、暴れまくると、そこいらに死をまきちらしているようだ。
 なんちゃらっていうその生産と消費の集中点のような会場に、そこだけぽっかりと真空をつくっているような。すごく皮肉な感じも面白い。
 でも、充実してる感じの芸って(音楽の演奏とかもそうかもしれないけど)、観る人を思考停止に追い込んだり、ただ惚けさせてしまうような気もするから、やはりそれは一時の死みたいなアレもあるような気もする。お笑いを観る心理って、「死んで再生する」みたいな欲求でもあるよね。
 また観れる機会があったら、観にいきたいなぁと思った。

*1




 イヤちんの新しいトコの日記が、またエレェことになっている。
 先輩の棚晒しを拝見。やはりワタスはあの薄汚れたピチカート5の紙袋が大好きだ。。

*1:「もうすぐ始まるよ」というフリップと、会場を走り回ったのち死んだ先生。・・・死(成就しない愛)と再生(への期待)の物語。。