takaoxida2005-09-02


 「タモリ・・・」そう呟いてみても、サングラスとカツラ疑惑の頭部とニヤついた口元、そしてコージー富田が浮かぶばかりなのだが、改めて、そして心を解放して「タモリ・・・」甘美でコワク的な響きである。町内の名物物知りおもしろ(ほぼダジャレ)オヤジ、といったキャラでTVに出続けて、もうどのくらい経つのであろう、すっかり大御所TVタレントという位置にまで登り詰め、若手タレントをアゴで使うタモリ。そして大雑把に言って、私にとってタモリとは「タモリ倶楽部」なのである(そして「タモリ倶楽部」とはタモリそのものではないだろーか)。
 「タモリ倶楽部」は今日も、決して「大爆笑」を視聴者から獲得することなく、「にやり」という微妙な笑いを茶の間に提供し続けている。そして私は今日もその微妙で、心にいつまでも尾を引く「にやり」を求めて、タモリ倶楽部を観賞する。あるいは、人付き合いも夜遊びも特に無関心な私が、部屋でなにかしている金曜のあの時間帯、消音されたTVの向こうでは、いつもニヤついたタモリがダジャレかなんかを(多分)言っている。「笑っていいとも」が終わろうが「トリビア」が終わろうがどうでもいいのだが、「タモリ倶楽部」が終わった時、サングラスの向こうの眼は笑っているか笑っていないか不明だが口元は常にニヤついたタモリ(レノマ着用)がいなくなった時、私はきっと大きな空虚と喪失感を味わうだろう(笑)。左官屋にしつくいの塗方を教わったり(3chの趣味ゆうゆうか!)、金属の鏡面加工に取り組んだり、八百屋で酒を飲んだり、そらみみを提唱したり・・・公共の電波にのせるコトを前提としながら取り組むそれらしょーもない内容は、過激で革新的であり、高度に成熟した現代メディアにおける「糜爛した知」のようでもあり、過剰な無意味を連発するコトで意味を生み、そーかと思うとやはり無意味だったり・・・私はそこに「私の欲するポップ」の匂いを強烈に感じてしまう(笑)
 昔、正月になると「お笑いビッグ3」とかいって、さんま、たけしとゴルフなんかやってたが、その中では私にとってタモリが一番重要だ(笑)。タモリのやる(しょーもない)コト、言う(しょーもない)コトはなにか私を感動させる。たけしも面白いけど、あの映画ってどーなんだろう(「オ〜イやってるか!?」は除く)? 予備知識無しに触れたらそれなりに心に残るモノなのかもしれないけど、はっきり言って「花火」よりタモリの「四ケ国語麻雀」の方が私には感動的だ! だって無意味じゃん(笑)。たけしの映画は「文化的、芸術的に成熟した西欧で初めて正当に評価された」なんて言ってて、実際そうなのかもしれない。しかしタモリの「四ケ国語麻雀」は「文化的、芸術的に成熟した西欧」においても評価が間に合わないくらい成熟しているのではなかろーか。タモリ倶楽部の母国語の視聴者でいられるというコトだけで、私は日本に生まれてこれて良かったと思っている(笑)。