takaoxida2006-01-08


 明け方に談志陳平『言いたい放だい』を観ながら、トラックバックいただいたkobbanovaさん(id:kobbanova)のトコにコメントを書いておりました・・・。『ポップ観』的な話題でして、個人的にどーにも興味が尽きないトコロでもあるし、同時にとても微妙な問題でもあるような気がして(考え過ぎると音楽が楽しく聴けなくなったりするんじゃないかという・・・妙な恐れ)・・・、色々考えながら書いたら、長くなっちゃってすみません>kobbanovaさん

 こういうコトって、ちょっと考え出すとあれやこれやと、いろいろな思いが湧いては消え、現れては通り過ぎ・・・しばらくそのコトに捕われてしまいますよネ。日曜の朝っぱらであろーと(笑)。
 『ポップ』も『音楽のポップ』も、触れていて楽しいし、とても面白いんですが、なにか求心的に『ポップ』を考え、追い続ける、気力も集中力も能力(ポップ音楽史的なコトの理解、楽譜よめたり楽器できたり)も自分にないから、そのしくみは絶対理解出来ないんだろうなという、絶望感(おおげさ)が強いのです。 だから、そんななんも分ってない自分が「何を」「どう」ポップに感じるのか、そういう自分はいったいなんなのか? みたいなコトばっかり四六時中考えてますネ〜(笑)。ある種、自分の外側の出来事である『音楽』にまつわるアレコレより先に、内側のコトっちゅーか・・・そういうコトで喜んだり、感激したりできる自分って、いったいなんなのかな?とか、何様だよという(笑)。それに何かを感じて感激しても・・・、結局「気のせいじゃないのか?」なんて不安がいつもあるし・・・。音楽を聴く時、必ず、その『音楽』と、『その音楽を感じている自分』、2つと対峙しているような、妙な感覚があったりと・・・。 
 でも、ポップ(通俗的)な音楽ってのは、作る側も通俗な輩を相手に、喜ばせるように作るわけだから・・・な〜んも音楽のコトが分ってなくても全然いいのかな? またそういうポップ技術というか方法に無自覚なような、へにゃへにゃNWやら、子供ポップやら、ドーラウ(笑)みたいなモンが放つ、ポップ成分にもそーとうなモンがあるしネ〜。それはやはり『ポップ』という美徳の概念に含まれる、『若さ』や『フレッシュさ』つーもんなんですかネ〜。神秘的ですネ。