Kedge '88

takaoxida2007-06-08



 散歩先の古道具屋の店先(雨曝し7inch)で出会った冨田恵一。この面構え、ポーズ、ファッションが、うらぶれた路地を彷徨う(あてどもない)気分にフィットするw 88年、小6か中1かー。わりと記憶ははっきりしてるな。何してたかなぁ。あの頃のみんなは何してるかな。名もない(あるかも知れないけど)路地裏の階段に腰を下ろし、缶コーヒーなど飲みつつ、しげしげと恵一の顔(&水玉シャツ)を眺めつつ思いめぐらす。あの頃から19年という時を経て、その日その時間、そんなコトをしてる中年は俺くらいなんだろうなぁ。やるせない気持ちの回りを色んな考えがぐるぐるする。


 ―――100円なら買ってみてもいいと思う。でも音楽を買っている気分はない。じゃあ何を買っているのか。何に対して100円出してもイイと思ったのか?―――


 また音楽的でない買い物をしてしまった。と思う。でも路地を彷徨う気持ちと、この中古品を買う気持ちは繋がっている。自然体で向かえるものごと。路地に似合う音楽は他にあるだろうが、どうも接している時の気分は遠い。そういう自分にいろいろ理不尽を感じる。でもそういう自家撞着そのものこそが自分な気もする(路地(だけ)を見る自分も、中古品(だけ)を見る自分も、本当の自分ではない気がする(中2病かっ)) どうでもイイ気もするが、どうでもよくなかったりもする。でもちゃんと生きるには、路地も中古もやめなくちゃいけないアレなのかも知れないなぁー。いろいろサーセン☆>世の中
(2007.4/18 mixi日記より転載)



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