100%片思い




 暑い一日。なんだかくたびれぎみ。

 何か(誰か)を見て、理解できねーとか、つまんねーとか思ったら、それは同時に、自分もそれ(その人)から、(同じ勢いで)理解できねーとか、つまんねーとか思われていると考えるのが妥当だと思うんだけど、ついついそーいうコトを忘れてしまうんだよなー。だから自分の生活圏で交渉のある大部分がつまんねーと感じていたら、それは自分の生活圏の大部分からも(同じ勢いで)つまんねーと(自分も)思われていると捉えるコトも出来るだろーし、墓だの低地だのかっちょいい家だの、陰気な場所だの、そんなアレばっかり考えている自分と世界の接点が今後いかようになっていくのか甚だしくアレだ。墓や低地やかっちょいい家のかっちょいい人たちが、アタスの興味や情熱と同じ勢いでアタスに微笑み返してくれるとも考えづらいし、そもそも微笑むとか微笑み返すとか、そーいうアレがアレだから、低地だの陰気なアレだの、最初から片思いしか成立しないアレに心安らぐのかも知れねーしなァ☆ なまじ報われる希望があるから悩むような気もするし、最初から所詮片思いって分ってるから気が楽なのかも知れね〜なァ☆
 レコードとか人とか、そこには少しでも、気持ちが通じたり、両思いになる確率は残されているんだけれども、墓場や陰気な低地にはそういう余地がなくて、あるのは最初から完全無欠な片思いだけなんだ。
 そもそも、成就する見込みのない恋を『片思い』とは呼ばないのかも知れないけれど。