takaoxida2005-11-17

 体調も復調し、夜はチマキとマー先生の個展を観に行く。マー先生は学生時代の恩師で、再会は数年ぶり・・・。また飲み屋で「勝手に虫の名前考えるしりとり」とか「おもしろいコトバしりとり」とかやりたいなァ、とか思ってたけど、なぜか結婚問題とか、肴の食べ方などでえんえん説教されて、気持ち&体調が悪化。早く解放されたい&無性にコーヒーが飲みたくなる。その後、合流した友人と喫茶し別れる。

 この前からmixiを始め、(顔見知りの)友人の日記などを読み、何か考えさせられる・・・。ある友人が「死にレコ」(棚などから落下し、当たって死んでもいいレコード)などという粋(&酔狂)な日記を書いていた。僕の回答はやっぱりドーラウの1stかフレッド・フォン・ジュピター。これはもう「無人島レコ」だろうが「葬式のBGM」だろうが、「死んだ時、持っていた荷物から発見されるレコ」でもなんでも、僕の回答はコレしか無い気さえする(笑)。好きなレコ、嫌いなレコは無数にあるが、僕にとって「特別なレコ」はこれしかないのだから・・・

僕は何度でもドーラウを再発見する

 なぜ自分はこんなにも「無意味」を愛してしまうのか。結局「無意味」に直面した時にしか「意味」は無い。「意味」や「価値」が氾濫するこの世の中、何か「意味」や「価値」を実感したり、肌に感じ取れるのは「無意味」「無価値」に接している時だけだから・・・? 自分でも良く分からない。「意味」や「価値」のコトなんてまっぴらだが、生きてる限り「意味」や「価値」という観念でしか、世界と触れあうコトは出来ないのかな?
 意味は無くても「レコード」は在る。意味は無くても「生」は続く。
 あ〜青臭い&気持ち悪いコトを書いてすんません(笑)。

 欲しかったんだけど、もうすぐCD化されるのを分ってるレコードなど買い込む(せつない)。店主に「〜州はスカンジナビア系の移民が多い。治安、教育レベルが高い。」などという話を聞き、感心する。