ざーど
昨日とうって変わり、
「ざーど死んだ」っていうのを、
ぜんぜん聞かない一日だったよ。
(少なくとも)わたくしの周囲では、
ざーどの死(という、にゅーす)は、一日で消費されてしまった。
というコトなのか? (たぶん、そう)
『ざーどしんだ』
記号のような、この(死の)軽さのコトを考えている。
そういうふうに感じる、自分の感受性について、考えている。
『ざーどしんだ』。
人が死んだというのに、これほどまでに、何も感じないとは。
いったい、誰が死んだら、何かを感じるというんですか?