日本刀の女
前日のチャリの漕ぎすぎか、起床しても、なんか疲れがとれてないような微妙なアレ。
A吉さん(誰)が、ワタスが会社でかけてた長谷直美の『二人だけの無人島』をやたら気にいってくれてるみたいで、なんか嬉しかった。かけると「おっ、おれの好きな曲」とか言ってくれるw憎いあんちくしょう☆
今朝はカニコさんが出社するなり「吉幾三はシティポップだ」とか、不可解なコトを言いながら、ベスト盤をかけていた。うーーむ、いくらオイラだって、それは承服しかねるぜい☆ シティポップ好きとしては、それは辛いぜい。
しかし・・・シテポばっか聴いてるオラの印象より、何でも聴いてるカニコさんの方が、客観的なアレもあったりするのかしら?
都会憧憬をコミックにしたりとか、痛烈な都会(シテポ的立ち位置)批判みたいな存在感のヨシを「シテポだ」と言い放つカニコさんは、深いんだかテキトーなんだか、よく分らない御仁ですぜ。
「生粋の都会人(あるいは、そのアーティスト生来のナイーブさやデリカシーといった気質)が無意識的に滲ませるテースト。それがシテポなのか?」
「『詩そのもの』と『詩的』が違うように、『都会的』であろうというコトは、それは『都会ではない』というコトだ。都会人でない者が、都会に憧れる、その在り様(よう)がシテポなのか?」
どうでもいいんだぜい☆
しかし、ワタスも大好きな『ドリーム』やら『旅の途中で(NHK-TV「ふだん着の温泉」テーマ曲)』やら、無条件に身体が反応してしまうあのポップさはなんなんだろー?