アンナの踊念仏

 週末の岸辺。終末の岸辺。しろー。

 田んぼから帰宅後、眠いなーと、今日もぐにゃつく。
 イヤダさんの日記が更新されていた。久しぶりだ。こうも久しぶりだと、思わず「ついに期待の新作が」なんて意気込みで読みに行ってしまう。そんなふうに思われても、迷惑な話だろう。けれども、イヤダさんの日記はすばらしい。

居るうち、月の照る間にだけ浮かぶ銀紙のような気持ちになってきた。
てっきり、気持ち的に自分がカッコイイのかと一瞬勘違いしそうになったものの、考えてみたら方向が逆だった。

スッとひんやりしたお手洗い、手を洗いに炊事場の水道を借りる。
しーんとした蛇口から水羽根が音させ羽ばたいたとき、眠そうにしがみついている腕時計もびっくりしたようだった。

このままここから、太陽の方角へそろりそろり牽曳されたらどんな気がするだろうと少し思った。
それでも、当たり前ながらいつも通り逆さに走った。
(たかだか数時間の間にぼくはわざわざ興奮しすぎでしょうか)
(そーですね!atお昼)

「明日があると思えなければ子供ら、夜になっても遊びつづけろ」
ぐずぐずしてたら、大人になっちまう。
そんな感じで夕刻帰ってからぐっすり寝た。

・先日、久しぶりに買った洋服は寒さしのぎのボロい皮ジャン、一番よく食べるものはガム。気分は沢尻エリカさん、見た目はお地蔵さん。



 イヤダさんが腕時計をしている、というのが少し意外な気もしたが。
 そうだ、イヤダさんは、電池を交換しにお店にいった日のことも、昔、日記に書いていたな。女性店員のこと。後日、時計を受け取りにいった時のこと。
 それを読んでいた頃。わたしはまだn野にいた。n野の、消毒液の匂いのする、寒い田んぼで、イヤダさんの日記を、独り勝手にパブリッシんぐ(for 自分)していたんだ。そのことを思い出すと、とても、なつかしい気分になる。
 その頃はまだ、嫁との関係もいくぶんアレだった(気がする)。とても、なつかしい気分になる。

 うまい日記がある。へたな日記がある。高揚するようなのもあれば、しんみりするやつもある。分かりやすいのもあれば、難解なのもある。意味不明なのもある。意味がないのもある。だじゃれもある。どの日記もおもしろい。面白なくても、面白くないところが面白い。だいたい、そんなこたー言えた身分じゃない(けど言う。わたしの日記だから)。
 しかしイヤダさんの日記は不思議だ。読んでいると、こっちの力が気持ちよく抜けていく。気持ちのイイ方向に、力が抜けていく。抜けていったまま、それっきり、そして、戻って来ない(来れない)。(イヤダさんが? 文章が? 読んでいる時のわたしの気持ちが?) これはギロの「ハッシャバイ」みたいな気分だ。
 イヤダさんの日記がイイと言って、文体を真似て書いている人は、しょうもない。そんなことをしても、仕方がない話だ。イイ悪いは置いておこう。だけど、ただ、それは、仕方がない話だ。