私信

 熱が下がったり上がったり。寝たり起き上がったり。
 幽霊かなんかになったような気分。ゆらゆらと心と体がそこいらを彷徨う。

 音楽が、「ソウルフルであるコト」とは、いったいなんなのだろうか。「魂がこもってる」とか「魂が感じられる」とか? そんなふうな意味合いで、(ワタス的には日頃)使ったり、読み取ったりしてるワケなんだが。*1


 ワタス個人的には、この「ソウルフル」というやつが、じゃまをして、音楽に入っていけないコトが結構あって。
 まず、音楽が鳴って、ワタスの気持ちも普段暮しのまま、地続きなその音楽の響きのなかに油断した状態で入って行くんだけど、そこで急にソウルフルな声とか何かが聴こえてきて、「わーなんだ普段着のままじゃダメだったのか、地続きだと思ってたココはなんか違うところみたいだな」などと、また来た道を引き返してしまうことが結構あるのだ。
 なにか意識してこっちのスイッチを変えたりしないと楽しめないし、そうすると今度は、その音楽の中で起きているいろいろなステキなコトに気づけなかったり、油断した気持ちのまま、何かを感じるという(自分的に結構大切にしている)コトが出来ないんだ。
 ソウルフルであるコトと対峙した時の、自分の感じる違和感が、自分の感受性を邪魔する感じ。視野狭窄的な。
 風邪をひいて異物に反応して発熱したり咳とか鼻水出るけど、ああいうのに似てるのかなあ。

 音楽も、非日常、病気、お祭りだと思えば、アレなのかも知れないけれど。
 ワタスの中の音楽のお祭りは、すでに年間を通していろんなやつが目白押しなので、新しく手にする音楽は、やはりお祭りじゃない感じの音楽の方が嬉しいし、お祭り音楽ならお祭り音楽で、そういうインパクトがないと年間スケジュールを再考してみようってアレにもなかなかならないんだよなあ、などと感じる今日この頃。
 意味不明なまま、風邪っぴき書き記す。

*1:まー、魂とはなんなのか。魂という言葉を想起したり、普段使いする人にだけ見えたり感じられたりするアレなのではなかろうか?とか、言葉としては全然古いんだけど、近代文学が発明した「内面」みたいな意味や比重で、我々は扱ってるんじゃないのか?とか、もろもろはあっちに置いといて