再生装置としての土嚢




 はれ。
 ウかれていたら、田んぼでじたばたする。
 手を動かし、気を使った末、自分でもおどろくほど成果が上がらない。
 よる、帰宅するとひさしぶりにゴキブリが出て、またがっくりする。
 泣きっツラにアレ。疲れパン食い。
 それから、オリンポック中継に気をとられ、ずいぶんとボンクラ気味に過す。
 先ほど来、TVが映す女子バレーの息詰まる激闘に、我家が点滅する。
 だいぶ細長え人と、だいぶがっちりした人がいるなァ、と思う。

 イヤちゃん日記読み。
 また、ブルージー&ファンタジー巨遍なので、しみじみするなど。




 どちらかというと、
「ギターのような女の子」とかの方が好きなんだけど、
 佐良直美の「ワタスの好きなもの」よろしく、
 低地、谷戸地形、崖下、トタン、木造、文化住宅、未舗装、路地中央のドブ川・・・と
 メロディに載せて、あれこれ思いめぐらしていた。
 「玄関前の土嚢」も、「ワタスの好きなもの」には欠かせない。
 そこが、水はけの悪い、のっぴきならない住環境であることを、
 象徴的に、せつせつと、観るものに訴えかけてくる。

 前半写真は品川にて。
 細かい路地をどんどん奥に入っていくと、
 打ち捨てられたかのような、ひそかな生活空間に迷いこんだ。(後半は西麻ブー)
 
 「玄関前の土嚢」周辺には、そこで昔から幾度となくくり返された、
 大水と闘う住人たちのドラマが、冷たい陽炎のように、
 いつも揺らめいているように思える。
 どんな些細なモノでも、観る人の気分や思い次第で、
 様々な物語や記憶を再生すると思うけれど、
 ワタスにとって、「玄関前の土嚢」の再生機能は絶大だ。
 思わず見とれて、動けなくなってしまう。
(おめでとうございます) 
 
 だから、アナタがどこかで、
 玄関前の土嚢を見ることがあったなら、思い出して欲しい。
 土嚢に萌える変な中年がいたことを。
(あつかましい)