コニス先生

 ちかごろ、『ゾ先生と親方日報』を読んでいるので、コニス先生のくだけた調子の文章をひんぱんに目にしている。それから、ミクソぃの知らない足跡を踏み返すと、その人が「コニスチルドレン」というコミュに入っていたりする場合が多い。足跡はマイミクソぃのマイミクソぃ(友達の友達)みたいケースが多い(そういうの表示されるでしょ)。つまり、ワタスのマイミクソぃのマイミクソぃは「コニスチルドレン」コミュに入っている確率が高いのが、なんでだろうと不思議になって考えていた、というワケだす。ややこしくてすみません。
 コニス先生のことを考えると、好きとか嫌いとかイイとか悪いとか、感情が心の中から急に逃げ出してしまう。「コニスチルドレン」というコミュがあるのを知って、へーーと思ったりするけど、その「へーー」と思っている当のワタスも、過去にコニス先生の音楽にリアルタイムで触れていた時期(第二期終わりから第三期始め)があって、いろいろ思いは複雑というか、へーーと「コニスチルドレン」を部外者のように見ているワタスも端から見れば全然「コニスチルドレン」かもしれないし、あとは「俺コニスチルドレン!」と手を挙げるか挙げないかっていう微妙なアレだけなのかもしれない。。というコトなのである。ヘーーと外から見てる人と、中の人は、どのくらい同じでどのくらい違うのか、とか。中の人つっても、単に妄信的な人から、(ワタスなんかよりちゃんと頭の中が整理出来てて)対象化出来てる人まで様々なんだろうけれど。
 それから先輩の家のピチ5の紙袋の写真ね。やはりこうして改めて観てみるとワタスはこの写真すごく好きだなって思った。他の写真は、普通に写ってるもの以上のモノは伝わって来なかったけれど、この一枚だけはちょっと違うなって思った。なんだろう。すごくエモーショナルなんだよなあ。「暮らし-記号-ポップ」みたいなタイトルをつけたら、ぴったりな気がするなぁ。
 それからイヤちんもコニス先生のことを書いてたな、、すごいツッパリっぽい感じで。というコトも考えていた。その時の書き方のコトも考えていた。。それで、じゃあワタスはどういうふうに書けるだろう、、と考えていた。そんで、こういうふうに書けた(書けてない。書けてないふうに書けた。)。。
 それから、ひきつづき、イヤちんの「ハイ口ウズの書き方」のコトも考えていた。じゃあワタスはどういうふうに書けるんだろうと。しかし「ジャニスイアンいいよね」って書くのはスケエ簡単だよね、なんでだろう。。イイ、イイ。 




 しかし、イヤちんの某コーポの写真が、パンチありすぎだ。
 この前、街の中古屋でショックさんに似てる人がいるなぁと思ってたんだけど、今日の日記を読んだらご本人だったということでびっくりした。まさかと思った。ショックさんみたいだなあと思ったけど、まさかそんなイメージどおりのハズがない、、なんて思ってたからなあ。
 ホントに恐ろしい。自分の場合ここでアホなことを連発してるからなおさら怖い。。まあ自意識過剰なのは分ってるけど、近ごろは中古屋の人が試聴とかレジの時とかスゲエ笑いを堪えて応対してるような気がするんだよ、ああ怖い。