打ち消し線

 某で滅びた先生に教わった「●いんず」という80'sシテポの某シングルを、先日首尾よく入手でけたので聴いているんだけど、これがすごくイイなぁとくり返し聴いている。
 謡曲だからとか80's産廃サウンドだからとかいって、そういうのはちょっとアレだとかいう人の気が知れない。思うに、そういう人っつーのはカップラーメンやらインスタントコーヒーを、ラーメンやコーヒーと比較して不味いとか言う人に似ている気がする。カップラーメンもインスタントコーヒーも「そういうもんだ」と思って、なぜありがたがったり面白がったりできないのか不思議だ。たとえば、クラシックや現代音楽みたいなのを耳にして、ああイイなぁと直感的に思ってもワタスは買ったり出来ないし、それを家で聴こうなんていう気になれない。それはそもそもどういう人種のために生まれたものなんだ。貴族じゃないか。ああいうふうなスケールのあるものをドーンと悠長にかまえて「まことにイイですなぁー。はっはっはっ」などと楽しむためには、ありあまる時間と金で暇つぶしを考える貴族みたいな物質的精神的余裕が必要なんじゃないのか。日々の暮らしに追われてきゅうきゅうとしてるアタスみたいな細民がアレしたって、どうやったって背伸びや無理でしかないんじゃないかって不安がつきまとう。だから限られた時間とお金でサクっと楽しめるポップス全般を聴く。とても自然な気がする。安ければ安いほど、背伸びしてる不安から逃げられる気がする。これは、うち捨てられ誰も振り向きもしないポップスや歌謡曲を聴くときの快感というのに、なにか関係があるような気がするんだけど。。 「どうだっていいじゃねえか、オマエらみたいなモンのせいで文化がどんどん痩せて小粒になるんだよバカ」とか言われそうだけど、「うるせい、オマエラもオレもみんなまとめて生まれつき痩せてんだよ小粒なんだよこの背伸び野郎」と言い返したい気持ちが常にある。常にあるんだけど言い返すことは出来ない。にやにやして「ああホントそうですよねー」と言うのが精一杯だ。
 以上。なんつうか、「打ち消し線」っていうのを使ってみたかっただけです。内容はありません。



以下、ミクソぃから転載しやす。