結局最後までくそあつい一週間。
 もーぐにゃぐにゃで何が何だか分らなくなってきた。目が回る。
 なんとか漂着した週末という岸辺。草も木もない、殺風景なところなんだけど。

 今さら●●がどーちゃらとか言い出す嫁。今頃言ってもおせーんだよこのタワケが。などとモメる。関わるとモメるしかない関係なので、黙って自分のコトだけをする。考える。やっぱり今回漂着した島も低地になりそうな見通し。
 とても心が静まり返っている。
 でも、モノを見る目が澄んできたり、頭が冴えてきたりはしない。やはり、暑さの余韻につつまれたまま、ぼけーっとしている。放心するだけの役立たず。

 某日記にて。「私は隠し金庫」というフレーズ。どういった比喩なんだろうか。なんかイイ感触。・・・いわゆる市原悦子(家政婦なんちゃら)的なアレだろうか。 

 レコのコトや、なんか他人にとって有益(になる可能性もある)っぽいアレコレを書かずに、ただひたすらどーにもならない個人的なコトだけを書き続けたら、いったいどーなるだろう、というコトを考えている。それでグラフも付けた。どんどんアクセスが落ちて、ブログを始めた当初ぐらいの、ひっそりした滝壷になった時、自分は何をここに書くんだろう? そんなコトをあれこれ想像しながら、書いている。
 その時、本当の独白が始まるのだろうか?
 その時、人目を気にせず、本当に聴きたくて手を伸ばしたレコのコトが書けるのだろうか?
 その時、(自分でも予期しえなかった)なにか正直な気持ち(のようなもの)が書けるのだろうか? 
 多分無意識に描いていたいろんなコトを諦めた時、人も去り静まりかえり、ひからび熱のひいた、残骸のような、ざわついた気配だけが虚しく残る低地のようなブログのまん中に自分独りだけになった時。また何かから解放され、何かから赦され、再生する自分を感じ、心安らぐコトが出来るんだろうか。
 
 「アンダースローでうんこを高速投擲するゴリラ」
 「スポロという飲み物に付いていたストローが硬くて細かった」
 そんなコトをふと思い出して、それについてあーだこーだ書けるようなブログであればよいと思う。
 勝手に「これは人の為になるだろう」なんてアレを想像して書いてはならない。それは傲慢だ。くそのような思弁(死便)が折り重なり、何にもならず、ただ無駄にかさばるアホ文章集まりになるように心掛けなければならない。
 今の自分がどんな人間か、よく自覚し、わきまえなければなーと思う。