中野区


オストデカッッ

 よる。ちゃりんこで田んぼから帰宅。
 寒いような、暑いような。よく分らん感じ。

 疲れているのか、眠いのか、ぼけーーとなんもしないで、だいたいイスの上。昨日とだいたいおんなじ、だいたいトモダチ。テレビの方を見たり、人の日記を読んだり。なんで人の日記を読んで回るのか(何周もw)、意味が分らないんですが、何かきっかけが欲しいだけなのかも知れない。音楽を聴くきっかけとか、なんかを食べたくなったり、欲しくなったり。最近、ぼーっとしてると、なんもしたくならない。
 動かないで手が届くところにあるシングルなんかを手にとって、眺めて、触って、元に戻したりしてます。触れば「もーいーかな」とか思ったりなんかしたりして。そうやって、今日もぐにゃぐにゃした中年が、よるの深いところ目指し、わき目もふらず無気力一直線。
 
 ところで、この前嫁が買って来たギロを、まだ聴いてないんだけど、どういうつもりなんだろう、中年は。 嫁に「ギロどう?イイ?」「どこがどうイイ?」とか、そういう話はしたりしてるんだけど・・・。何がしたいのかよく分らん。
 
 『音楽の話を書くコトが、音楽を聴く時の姿勢から自由を奪う』ようなコトについて、つらつら考える(ふりをしている)。意識して選ぶ(orたまたま手にする)→自分と向き合う→聴く→自分と向き合う→思ったコト、感じたコトを言葉にするために、整理する→自分と向き合う→言葉にならない事や、言葉にするとどうもつじつまの合わないような部分を切り捨てたり、無視したり、微妙に調整するコトで、本音みたいなコトというか、頭の中にもやもやしてる状態のてきとーなアレとは、だいぶかけ離れる。
 まー、『本音』なんて言葉があるだけで、本当に在るモノかなんて実にうさん臭いし。
 もやもやしたアレなんて、なんも考えたり感じてないのに、感じてる気になってるだけのアレのような気もするんだけど。

 たまたま、手が届くところに在って、どんな内容か、忘れたから、聴いた。
 ってコトを。
 人の言葉を借りてきたり、世の中に流通してる、便利な論理や音楽観みたいなのに、当てはめてみたり。ごくろうさん俺。っていう感じになって、なんだか、ずいぶん、不自由だなあ。窮屈だなあ。とか、そんな感じのアレで。

 きちんと向き合って、捉えて、言葉にしようとすると、消え去ってしまうような、些末な、どうでもイイようなコト、を、書きたいんだけど(というかそういうコトしか書けないだろ中年は)、ちゃんと目を凝らして見ようとすると消えてしまうし、よそ見をしてるふりをして、ぱっと、一瞬の巧妙な手管で、やってしまわないと、それは、捕まえられない、ような、気がする。
 イヤダさんとか、●●さんとか、○○さんとか、のように。
 なんとなく、むかし、博さんが言ってた、『シュレなんちゃらの猫』みたいのようでもある。

 『不自由』の方を見たり、『不自由』なコトについて、考えるから、不自由があるのであって。別に、何も考えずに、『自由』とか『不自由』だとか、意識しなければ、自由かわからないけど、不自由ではないんだ。 だけど、それだと、日記が書けないし、今は、音楽を聴いて、寝てしまうより、日記を書いて、寝る方が、イイ気分なので、日記を、書くほうを、選び、ます。

 もう少し、ゴトゴトしてから、寝る予定。