杉並区ym町




 田んぼ会議。それから、延々耕す。
 土が硬く、鍬が思うにまかせない。くたびれる。夜帰宅。

 エサを食べる。洗濯をする。
 きまぐれに、便所を掃除してみたりする。
 便器にかけた、洗剤の、飛び散る、冗談みたいな色。
 この、冗談みたいな着色には、どんなアレが込められているのかしら? などと、思いながら、
 棒タワシを、水たまりに、つっこみ、洗剤といっしょに、便器をこする。
 水が跳ねないような、力加減で。
 こする。
 きれいになる。
 ますます、こする。
 水が跳ねる、瀬戸際まで。
 おわりに、水を流して終了。
 そんな時は、いつも、
 わたしという名の豚でも飼っているような気分になる。
 いつになったら、わたしという名の豚を飼っている、という感覚から、解放されるのかしら。

 中古品に触ったり、レコードを聴いたり、いんたーねっとをしたり、
 それから、あてもなく、さびしいところを歩く時にだけ、
 豚を飼っている感覚から、解放される。

 豚のような、無自覚で、無目的な、生き物の中に、
 うっすらと、温度が感じられる、感情のような、なにかの流れ、
 心が、呼、吸、をしている、
 その、わずかな、息づかいが、
 たしかに、わたしの、内側から、感じられる。
 わたし(のようなもの)に内側(のようなもの)が、あるようなことを、思い出させる。
 
 静まり返った、よふけ。
 窓をあけると、むしが、なく、よふけ。
 見知らぬ、ひとの、アレを、読みにゆく。
 豚を飼っているコトを忘れるために。

 むしのこえを聴くように
 まよなかの、まどを、あけるように、
 見知らぬひとの、アレを、よみにゆく。