くもり。
 静かに穏やかに、でも心はヤケクソに、終日タガヤス。
 田んぼ帰り、99歯っかけはんからパン買って
 ひとりぼそぼそ食い。せんたくしてタタイテホス。

 イスにすわって、メッセ返事書きなど。
 いつも日記でアホアホ文体だから・・・ていうか内容もクルクルパーだから、
 いざ、メッセとか、手紙っぽいやつの書き方、一瞬分んなくなる。
 結局、書き出しは「ぼよよん。おつかれさまです。」だった。
 結局、分ってねーじゃん。という☆

 人の更新もあまりないので、
 海辺の生き物先生の日記読返し運動、の続きなど。
 先生の一人称は「俺」。
 かっちょゥィイー。
 あ、たしか●永先生もそうだっけ?と思ったら「ぼく」だった。
 だれかと勘違いしてたみたいだ。
 ムゲーさんが「俺」だった。そうだった。
 イヤダさんは「ぼく」。
 しタス先生は「ボク」。
 がむしこさんは「オレ」だったと思ったら、「私」「自分」とかだった。
 「俺」とか「ぼく」とか「私」とかに、憧れるんだけど
 なんだか(何かに)申し訳ない気もするので、
 結局「ワタクス」になっちゃうんだよなあ。
 海辺の生き物先生の日記は、「俺」という一人称に恥じない、
 「俺」という一人称に負けない文章なので、
 そのあたりも、かっちょゥィイーと思って、読むのだ。
 
 しタス先生のトコで、リザードの話に華が咲いてて、
 黒虫析虫易とか浅草□ッワの7ウンチとか、聴きたくなったけど、
 寝る前だからやめたょ。
 アルバムだと最初に聴いたのが2ndで、思い入れがあるのも2ndです。
 ジャケはワタスも地味で好きじゃないです。
 
 イヤダさんは、最後に「ヒム□ックとその周辺」を貼ったまま、
 「流木を拾いにいく」と出かけたきり、まだ戻ってこないけど、
 大丈夫なんだろうか。
 
 流木拾い、というか
 流木のキャッチ&リリースのコトを
 「神々しい遊び」と、イヤちゃんは書いていた。
 イヤちゃんて、急に馴れ馴れしいけど、意味はないです。
 貝弱は遊びを
 〈アゴーン(競争:文字通り徒競走など)〉
 〈アレア(偶然:ルーレットなど)〉
 〈ミミクリー(模倣:演劇やRPGなど)〉
 〈イリンクス(眩暈:絶叫マシーンなど)〉の
 4種類に分類して考察した。(ウィキより)

 ホイジンガの「遊び」の言説の中で、「遊ばします」という下りに違和感というか、しっくり納得がいかない、ということですが、私の身近にもそういう友人がいます。
 学生時代に聞いた話で、「特に日本では神様が遊ぶと世界が人間にとって住みよくなる。という考え方があって、そのために人間は真剣に祭を執行するのだ。」という話を聞きました。



 ホイ人家のコミュで気になった米。びボー用
 海辺の生き物先生は、すきすきスウィッチは好きだろうか。
 今度会うことがあったら、聞いてみたいなあ。他にそうゆうやつないか。