■
くもり。
静かに穏やかに、でも心はヤケクソに、終日タガヤス。
田んぼ帰り、99歯っかけはんからパン買って
ひとりぼそぼそ食い。せんたくしてタタイテホス。
イスにすわって、メッセ返事書きなど。
いつも日記でアホアホ文体だから・・・ていうか内容もクルクルパーだから、
いざ、メッセとか、手紙っぽいやつの書き方、一瞬分んなくなる。
結局、書き出しは「ぼよよん。おつかれさまです。」だった。
結局、分ってねーじゃん。という☆
人の更新もあまりないので、
海辺の生き物先生の日記読返し運動、の続きなど。
先生の一人称は「俺」。
かっちょゥィイー。
あ、たしか●永先生もそうだっけ?と思ったら「ぼく」だった。
だれかと勘違いしてたみたいだ。
ムゲーさんが「俺」だった。そうだった。
イヤダさんは「ぼく」。
しタス先生は「ボク」。
がむしこさんは「オレ」だったと思ったら、「私」「自分」とかだった。
「俺」とか「ぼく」とか「私」とかに、憧れるんだけど
なんだか(何かに)申し訳ない気もするので、
結局「ワタクス」になっちゃうんだよなあ。
海辺の生き物先生の日記は、「俺」という一人称に恥じない、
「俺」という一人称に負けない文章なので、
そのあたりも、かっちょゥィイーと思って、読むのだ。
しタス先生のトコで、リザードの話に華が咲いてて、
黒虫析虫易とか浅草□ッワの7ウンチとか、聴きたくなったけど、
寝る前だからやめたょ。
アルバムだと最初に聴いたのが2ndで、思い入れがあるのも2ndです。
ジャケはワタスも地味で好きじゃないです。
イヤダさんは、最後に「ヒム□ックとその周辺」を貼ったまま、
「流木を拾いにいく」と出かけたきり、まだ戻ってこないけど、
大丈夫なんだろうか。
流木拾い、というか
流木のキャッチ&リリースのコトを
「神々しい遊び」と、イヤちゃんは書いていた。
イヤちゃんて、急に馴れ馴れしいけど、意味はないです。
貝弱は遊びを
〈アゴーン(競争:文字通り徒競走など)〉
〈アレア(偶然:ルーレットなど)〉
〈ミミクリー(模倣:演劇やRPGなど)〉
〈イリンクス(眩暈:絶叫マシーンなど)〉の
4種類に分類して考察した。(ウィキより)
ホイジンガの「遊び」の言説の中で、「遊ばします」という下りに違和感というか、しっくり納得がいかない、ということですが、私の身近にもそういう友人がいます。
学生時代に聞いた話で、「特に日本では神様が遊ぶと世界が人間にとって住みよくなる。という考え方があって、そのために人間は真剣に祭を執行するのだ。」という話を聞きました。
ホイ人家のコミュで気になった米。びボー用
海辺の生き物先生は、すきすきスウィッチは好きだろうか。
今度会うことがあったら、聞いてみたいなあ。他にそうゆうやつないか。