呼ばれたのだろうか




 予定がかわり、嫁とでかける。チャリで下町のほうまで。
 ここのところ、週末がくると、下町のほうに行きたくて仕方ない気分。
 あの、どこまでも走ってゆけるような、平らかな埋め立て地を、
 温度や、湿度、においの変化を、感じながら、
 すべるように、ずっと走っていく感じが、脳内で再生される。
 だけど、外に出ると、ぐにゃぐにゃになるような暑さ。
 
 ●●→●●→浅草→南千住→三ノ輪。
 それから、とうとう、荒川のはずれまで足をのばしてしまった。
  
 しろい、ぼんやりとした、殺風景な昼下がり。
 大きな倉庫の窓を、夫婦して見上げ、長い息をはいた。
 観光や、いわゆるデートスポットみたいなところにも行かないし、
 結局、新婚旅行も行かなかったけれども、
 この工業地帯は、
 同じ風景をみて、無言で意識が交流するという体験にことかかない。




 自分たちの生活する地続きに、そういう現実があり、
 それを眺め、息をして、知覚する自分たちの意識を確かめ、
 自分たちが、今、そこに居て、生きていることを確かめ、
 つよく動かされる心があることを確かめ、
 ふたりの心が、そこにあるのだ、というようなことを確かめる。
 やはり、改めて考え直してみても、
 ふだん暮していて、そんな場所は、ほかにない。
 
 胞衣。産汚物。
 という、馴染みのない言葉のコトを少し調べていたら。
 ある過去の出来事が急にフラッシュバックして、息苦しいほどの思いに苛まれた。
 もしかして、
 ここにきたのは、自分の意志ではないんじゃないか、と。
 嫁は、そのことを、あの場所で、気付き感じていたのだろうか。
 ずっと、そのことを、
 考えつづけている。