メモ

〜前略〜 都市生活で、流通という生産―消費の間にかかわる商人の尺度が、都市の尺度になっていくことに批評の眼が向けられている。商人の尺度とは、木を材木と見、牛を肉と見るような精神が生む儲けであり、儲けのために速度が要求された。一方で流行りや旬が、他方で買い占めと売り惜しみが常となる。『早起きは三文の得』という諺は、農民の習慣から生まれたのではなく、都市社会で生まれたに違いない。天正期、近江玉緒村の惣掟は「朝六時より前に野良に出てはならぬ」という条項を定めており、村落の生活秩序では、早起きを「三文の得」といったゼニ勘定として数える発想が禁じられているのだ。(昭和二十年東京地図あとがき)

徳じゃなくて得

木の葉を隠すなら森の中(このはをかくすならもりのなか) ある物を隠したいと思うなら、同じ物がたくさんあるところに隠せば見付け難いということ。 参考:「ブラウン神父の童心−折れた剣」 「賢い人は葉をどこへ隠す? 森の中だ。森がない時は、自分で森を作る。一枚の枯れ葉を隠したいと願う者は、枯れ葉の林をこしらえあげるだろう。死体を隠したいと思う者は、死体の山をこしらえてそれを隠すだろう」 出典『ブラウン神父の童心』推理小説 G・K・チェスタトン。1911年。

『木を隠すなら森』の由来

調子が出たら筆を置け(葛西善蔵