キタシンジク




 嫁がいないので、独りで午後遅くあてもなく外出。
 曇天。なんだかうす暗い。そんな時間でもないのに侘びしげに外灯がついていたりする。静かな路地の方に入っていくと、すぐにしみじみした。こういう感じ、どういうふうに書けるかな?などと、考えながらチャリをこいで行くんだけど、いつもどおり別段なんも思いつかずに、さっぱりと行って帰ってきた。
 イヤちんとか、どうやったらああいうふうに散歩の情景を描写できるのかね? 静かな環境だから、行って帰って来ても、印象が侵食されずにきれいに心に残るんだろうか。。ここらあたりはとにかくがちゃがちゃしていて、なんか観てなんか感じても印象はどんどん吹っ飛んで次々現れるどうでもいいがちゃがちゃで更新されていく。というか街のせいっつうか、イヤちんは文豪だからそんじょそこらとは頭の出来が違うんだろうけどね。
 「どういうふうに書けるかな」って一番思うのは、田んぼやら出先から、夜道をすっとばして帰ってくる時なんだけれど、そうやって上の空でチャリをこいでると危ない。車にヨコっ腹を打ちつけた時も、イヤちんならどう書くだろうね?などと考えていたのだと思う。
 その時は松本伊代のLP(50円)一枚が入ったレコ袋をチャリのハンドルにさげて走っていたんだけど、車に激突する瞬間、やはりとっさの判断で松本伊代(50円)をかばおうとしちゃったんだよね。それを思い出すと自分に腹がたつっつうか、「なんでだよ」とやはり思うわけよね。後になってみれば、むしろ「松本伊代(50円)を盾にして受け身をとれよ」ぐらい強く思うんだけど、なにぶんとっさの出来事だからしょうがないよね。いろいろ人としてのアレが試されるよね。「雨が降ると人の本性がわかる」と書いたのは平成の草野心平ことイヤちんだけど、ワタクスなりに「松本伊代(50円)を持って車に突っ込むと人の(以下略」と思うわけですよ。判断力とか危機回避なんちゃらが試されるよね。つうか松本伊代(50円)を持って車に突っ込む時点ですでにもうダメだし、松本伊代(50円)を買う時点でほとんどダメなわけですよ。やはり松本伊代(50円)を持って車に突っ込む時点で、都会の競争社会からすでに脱落してるワケで、そうやって都会は不能者をつぎつぎ淘汰していくワケですよね。
 そんでヨコっ腹をしたたか打ちつけて、イテェーつってもがき苦しんでるのが、だんだん松本伊代(50円)のせいのような気さえしてきて、クソ!この松本伊代(50円)が!などと思いつつも、家でそれを聴いたりしていると、もーーホント、オレは葛西善蔵かよ!って思うワケですよ。そのダメさ加減が。。 よく「善蔵善蔵」言ってるけど、べつに面白いと思ってるワケじゃなくて、キャラが好きなだけなんだけどさ。




 で、話がエライ脱線したけど、
 場末の中古屋で100円シングル5枚選んで2枚戻して3枚買って、韓国人街の民生食堂でラーメン食って、喫茶店で読書と考え事して、帰宅した。
 アクセス記録見たら、「フセ明」で普通検索、ブログ検索、はてなキーワード『フセ明新聞』などなどから20件近くあり、ホエーと思う。すげえなフセ明。そうそう、昨日は「まあフセ明だから大丈夫だろ。伏せ字にしなくても。。。フセだけn(おっと」つって、特に伏せ字にしなかったんだけど、甘くみてましたね。つうか今頃イヤちんのトコとかフセファンが大挙殺到してるんじゃなかろうか。コメントオープンにすればいいのにって思うんですよね。「'06ツアー最高ですよネ! また来ます。」などというフセマニアのコメント読みたいじゃんすか。熱いフセファンたちと交流する現代の志賀直哉ことイヤちんを観てみたいじゃないですか。。
 で、昨日の今日で、今度は松本伊代(50円)を伏せないで書いてみたけど、、まあいいや、どうだって、なんだっていいやって感じなのです。